2010年12月1日水曜日

「Wikileaks(ウィキリークス)」の出現は、新たな「デジタル・ディバイド」を産むおそれがあると思う

 最近「ウィキリークス」が話題ですね、NHKのクローズアップ現代で放映していたのは記憶に新しい。NHKで放映された感想は「難しい組織」という感じでした、日本国という特徴上これだけ長い時間放映したのか?


 国の機密文書が次々と公開されていく様は「世界的秩序」を崩壊させるほどの危険性と脅威を感じさせる、日本のことわざには「知らぬが仏」という良い言葉がある。

 知らなければ怒り・狼狽する事も無く、事が進み平穏でいられ平和であるという意味である、インターネットの負の部分は情報があまりにも多くあふれ、私たち情報の受け手側が選択し行動しなければならない煩わしさを産んだと言える。

 知ることにより良いこともあるが良いことの数倍の悪いこともあるという事だと思う、日本社会で言えば「格差社会」「将来に対する過度な不安」「インターネットが招く情報先行による真偽の判別を難しくした」という様な感じか?

 日本国はインターネット層の利用者が多い20代から30代後半の層は「絶望的な思考と情報先行が過ぎて体験的な物を排除する傾向がある」と言える、私もその世代であるが「インターネットの情報は9割は真実から偽へすり替わる危険性があると見ている」もし信じすぎてしまったら「人間本来の持つ可能性を自らが閉鎖する危険」があるからだと思っている。

 ネットに過信すれば情報が足かせとなり本来の行動を失わせる恐怖がインターネットの負の部分と自分は思っています「ウィキリークス」の存在は政府機密情報という分野なので「深刻」と言わざるを得ないのか?

 デジタル・ディバイドという言葉がある、情報格差という言葉ですがインターネットを利用している層と利用しない層の格差であるが逆に「知りすぎてしまった事によるデジタル・ディバイド」も出現するのか?と思っている。
「1」
「ウィキリークス」の存在はインターネット社会の「負=影」の様な雰囲気がします。

※注釈 リンク先

「1」【情報格差(Wikipediaより)


※ギリシア神話のパンドラの箱を連想させる様相が出現していると思う、最後は「幸福」であるがそうなって欲しいと思う。