2010年10月20日水曜日

夏目漱石の「それから」を連想させる21世紀のニッポン(生活保護世帯が過去最多更とリーマン・ショックの勝ち組)

なかなか興味深い記事と言えます、特集は企業を中心にしてますが個人に当てはめても良いかもしれない。個人的に答えが出ては居ないが「リーマンショックは自分自身の人生価値観を変えた」と言える、変わったのは良い方向での意味である


 現在の自分は「資産は金融資産が多くなり、出世競争と無縁(しなくても問題ない)の悠々自適の自由奔放なサラリーマン生活な人生を送っている」と言える、但し精神面は「体の病気があり不安定な面が有る」と言えますが、少なくとも「貧しい・ひもじい」とは現在無縁である。

 「リーマンショックで勝ち抜いている企業は日本では希有であるが米国企業・新興国は多く存在する」自分の中でリーマンショックを乗り越えて強くなっている企業は「曖昧を全面に出している」と思える。

 日本では将棋・オセロ等ボードゲームがあるが「勝ち負け」しか見ない、西洋はチェスというゲームがあり「引分け」という項目があり重要である、引き分けを重視する社会とそうでない社会で違いが出現したと言えるのでは無いだろうか?

 もう一つ「リーマンショック後に勝ち抜いている国は中国・インド」が有名であるがそれらの国は「曖昧さと強行」を兼ね備えている、例えば中国は経済上の数字はGDP2位の大経済国であるがCOP21・COP10では発展途上国である、つまり使い分けを重視している国と言える

 インドも同じく先進国と発展途上国の側面を持つ、個人で言えばどうか?個人でリーマンショック後に金持ちなった人、或いは金融資産が伸びた人物の特徴は不明だが「少なくとも自分は何となく中国の様なスタイルかもしれない、確かに曖昧さをもち優柔不断である、そう言う人が意外にも多いような気がする」その優柔不断は細かさと大胆さを兼ね備えた人と言えるような気がする

 リーマンショック後で駄目な国がある「YES・NOしか無い、勝ち組・負け組」と直ぐに判断する民族が多く存在する国である、その名は「日本国」という、どうして日本が弱いのか?

 結論は考える事が苦手な国民が増えたためと思われる、表面上でマスコミや報道の情報を鵜呑みにして、自分自身を決めてしまう人間も多い、つまりその原因が今回の生活保護世帯の続伸にも繋がっていると思えると自分は思う。


 皮肉にも夏目漱石に「それから」の一文を思い出してしまった。

 無理に一等国の仲間入りをしようとする日本 

 日本程借金を拵(こしら)えて、貧乏震いをしている国はありゃしない。此(この)借金が君、何時になったら返せると思うか。そりゃ外債位は返せるだろう。けれども、それ許(ばか)りが借金ぢゃありゃしない。日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ち行かない国だ。それでいて、一等国を以て任じている。そうして、無理にも一等国の仲間入りをしようとする。だから,あらゆる方向に向かって奥行(おくゆき)を削って、一等国丈(だけ)の間口を張(は)っちまった。なまじい張れるから、なお悲惨なものだ。牛と競争をする蛙と同じ事で、もう君、腹が裂けるよ。其(その)影響はみんな我々個人の上に反射しているから見給(みたま)へ。斯う西洋の圧迫を受けている国民は、頭に余裕がないから、碌(ろく)な仕事は出来ない。悉(ことごと)く切り詰めた教育で、そうして目の廻る程こき使はれるから、揃って神経衰弱になっちまう。話をして見給(みたま)へ大抵は馬鹿だから。自分の事と、自分の今日の、只今の事より外に、何も考えてやしない。考えられない程疲労しているんだから仕方がない。精神の困憊(こんぱい)と、身体の衰弱とは不幸にして伴っている。のみならず、道徳の敗退も一所に来ている。日本国中何所(どこ)を見渡したって、輝いてる断面は一寸四方も無いじゃないか。悉く暗黒だ。
(夏目漱石「それから」『漱石全集』第六巻 岩波書店 1994年、101~102頁)


 新興国と呼ばれる国の中で日本をよく知る国は中国・ブラジル・インド・ロシアである、つまりBRICsであるが、彼らの認識は「日本国民は列強時代と何ら進化が無く寧ろ劣化した」と分析していると思う、だからその4ヵ国のうちの中国は日本の資産をごっそり抜き出し、日本を踏み台に輝きを増していると思える、中国の戦略は「日本国民を怒らせ刺激すること」である。

 日本人は残念ながらその挑発に乗っているのが悲しいと思われる。


※表面的なことより自分は体験だと思う、これからも色々実践し生きていきたいと思う、但し慢心しないように常に気をつけなければならない、これは注意しなければ行けないと思う。